【COVID19:レターズ・トゥ・エディター】from 板垣雄三「パンデミック下の生き方と考え方の問いなおし」

パンデミック下の生き方と考え方の問いなおし

板垣雄三

 長生きをしたために、私はかつて戦時下で味わった生活文化の二番煎じにちかいものを再び体験することになった。音として聞こえてくる「詔勅」で時間の区切りが定められ、そのままには信じがたい「大本営発表」で芳しくない「戦果」を毎日聞かされ、装いや並び方や息の仕方や買い物の心構えまで指図される。「戦死者」を悼み、「最前線で命がけ」の奮闘者に感謝をがコンセンサスとなる。頼りない政治リーダーが垂れる生き方心得に哲学も思想も無いが、批判して村八分はこわい。時局は、自粛も閉店も破産も不条理の処遇も、何でも作りだす。手作りマスク・画面の飲み会・ズーム授業・といった遣り繰り生活。強いられる徹底的に受け身で画一化されルーティーン化された考え方・暮らし方。……これ以上「休校」は子どもたちにとって由々しいこと、やっと秋が新学年の国際バージョンに切り替えができる稀有のチャンス、いや教育制度は手軽に変えるべきでない、などの声が上がり、クスクス笑い。私は、大学以外、学校は同じでも名前は入学時と卒業時で異なった。尋常小学校が国民学校に変わり、東京府立中学校が東京都立中学校へ、そしてそれが1年間だけの都立新制高校3年生に変わった。中学2年4月から3年の夏の日本帝国崩壊まで軍需工場での勤労動員で神風の鉢巻きを締めた臨時労働者となり、授業は皆無。教育制度の切り替えのあおりで大学入学は7月7日、入学と共に夏休み。だから私の大学1年生は半年だけ。軍隊帰りや海外引き揚げの学生も多く、したがって私の入学前後の数年間は4月入学と9月入学の2種類の学生がいたものだ。こんな便宜的扱いを受けた世代もあったことが、完全に忘却されている。戦争の時代の[国内的に、そしてジェンダー視点をはずして、という勝手な条件付きで恐縮だが]被害者・被抑圧者としての立場から、現在の閉塞状況にモノ申すこととする。(冒頭部より抜粋)

※冒頭部のみ抜粋しております。翻訳や訳注、リンクの紹介など原文をお読みになられる方は以下のPDFファイルをご覧ください。

・板垣雄三「パンデミック下の生き方と考え方の問いなおし」:PDF 
 (以下の解説と翻訳を含む)

■解説と翻訳資料
【A】板垣雄三「「コロナ禍」に立ち会う視野を拡げよう 参考資料(B・C)の解説を含めて 」(2020.05)
【B】ミシェル・ショスュドフスキー「コロナウイルスCOVID-19の「しつらえ」パンデミック:時系列表と分析」(2020.04)
【C】イアン・サンプル「科学者は風に乗る命取り流感ウイルスの創造を〈狂気〉〈危険千万〉と非難」(2014.06)