【翻訳】林熒澤「17~19世紀の東アジア実学、その概念比較論」(片岡龍 訳)

17〜19世紀の東アジア実学、その概念比較論

林熒澤(成均館大名誉教授)
翻訳:片岡龍(東北大学)

目次
1、17世紀の歴史転換と知識人の覚醒
2、韓・中・日の新学風、関連用語を通じた比較論
3、実学の改革思想と尚古主義

 今回の学術会議の全体主題は、「17世紀の東アジアの歴史転換と柳馨遠(1622~1673)の『磻渓随録』である。主題をこのように定めたことには、若干の説明が必要だろう。

 韓国で実学を学問的に認識するようになったのは1930年代からだ。当時、主導的な役割を果たした爲堂 鄭寅普先生は「実学の初祖」として、また民世 安在鴻先生はその創始者として、柳馨遠の実学思想史の位相を、同様に位置づけた。

 実学という学問は、一国的な境界を越えて、東アジア的次元から議論する必要がある。17世紀東アジアの歴史転換において登場した新学風が、一時代を代表する学問として席を占めたのである。そして中国の清朝、韓国の李朝後期、日本の江戸時代に、実学として把握できる新学風がともに発展した。

 今年は柳馨遠の主著である『磻渓随録』が著述されてから350年になる年だ。『磻渓随録』の出現は、まさに韓国実学の出発信号と見ることができる。本学術会議は、これを記念する意味を帯びているため、上のように主題を定めた。さらに言えば、磻渓先生が誕生したのが1622年であり、先生の誕生400周年を目前にしている。今回の学術会議はこれを準備する意味ももっていると思われる。

 私はこの会議の基調講演を務める立場において、17世紀の歴史転換期に新学風として実学が登場した過程にたいする平素の見解を簡単に報告した後、韓・中・日3国それぞれの新学風に直結した概念を相互比較してみようと思う。いまにして用語問題を問うことはことさら衒学的に映るかもしれないが、東アジア次元で実学を議論する場では、必ず整理して行かなければならない事案と思うからである。

(冒頭部より抜粋)

※冒頭部のみ抜粋しております。原文は以下のPDFファイルをご覧ください。

・林熒澤「17〜19世紀の東アジア実学、その概念比較論」:日本語PDF
(『17世紀東アジアの歴史転換と柳馨遠の『磻渓随録』発表資料集、2020.10.23)

投稿日: カテゴリー 翻訳

【COVID-19:翻訳】趙晟桓・許南診「コロナ時代の地球人文学」(2020.8.26円光大フォーラム、片岡龍 訳)

コロナ時代の地球人文学(Globalogy)

趙晟桓(円仏教思想研究院 責任研究員)
許南診(円仏教思想研究院 研究教授)

Ⅰ.はじめに: 円仏教の思想研究院の紹介

円光大学校円仏教思想研究院は、2016年に大学重点研究所に選ばれ、「近代韓国宗教の公共性」1を主題として研究を進めてきた。その過程で研究された内容を要約すると、次の通りである。

東学によって提唱された「開闢」は、韓国の自生的近代化運動(indigenous modernity movement)の思想的理念であり、これらは斥邪派や開化派とは異なる第3の道を選んだという点から「開闢派」として分類でき、これらの開闢宗教が追求した公共性は、人間と国家の境界を越えて地球的(global)次元の生命(サリム)と平和、会通と共和を実現しようとしたという点で、「地球的公共性」(global publicnessと命名できる。

これらの蓄積をもとに、今年から、次の段階の研究を並行している。それは<地球化時代の人文学>(Humanities in the age of Globalization)である。略して「地球人文学」(Globalogy)とも称す。人文学といっても、文・史・哲に限定せず、社会学・政治学・宗教学・人類学などの社会科学とも連結している。西洋では、1990年代から各分野で「グローバル(地球的)」という修飾語を付けた研究が興り始めたが、それを本格的に「地球人文学」という独立した学問分野と認識してはいない。(冒頭部より抜粋)

※冒頭部のみ抜粋しております。原文は以下のPDFファイルをご覧ください。

-趙晟桓・許南診「コロナ時代の地球人文学」(2020.8.26円光大フォーラム資料集、片岡龍 訳):PDF
-조성환・허남진「코로나시대의 지구인문학(Globalogy)」(2020.8.26 원광대 포럼자료집):PDF


1 正式名称は「近代文明受容過程に現れた韓国宗教の公共性」である。

【書評】田中豊「書評:李セボン『自由を求めた儒者ー中村正直の理想と現実ー』」

田中豊「書評:李セボン『自由を求めた儒者ー中村正直の理想と現実ー』(中央公論社・2020年)」

 儒者は一般に、「聖人の道」を普遍的なものであるという信念を持って疑わない。むろん、ここでいう「道」は論者や学派によって異にするが、この「道」について古典中国語(漢文)を駆使、追窮することによって体現することが儒者の役割の一つであるといえよう。しかし、儒学がいうように「道」が普遍的であるとするならば、その検討対象も漢字文化圏に限定する必要はなかろう。日本が西洋思想と本格的に邂逅することとなった幕末に、こうした新時代の儒学を志向した中村正直が、本書の主人公である。中村は、儒学を普遍的なものとして把握することによって、「天道」の体現としての西洋「文明」を日本へ紹介することに主眼を置いていた(18頁)。彼のこのような思想的営為を、昌平坂学問所御儒者時代を始点に、これまで重視されてこなかった儒学思想を軸にして議論がすすめられる。先行研究は、「啓蒙」家としての側面に重点を置き分析をおこなってきた。そこでは、儒学が中村の「啓蒙」にあたっての不完全性を露呈してきたと、儒学は西洋思想受容に際しての限界として捉えられてきた。しかし、本書はこのような理解を中村の著作に基づきつつ根本的に批判することを企図する。その作業の一環として、従来翻訳書として扱ってきた『西国立志編』と『自由之理』が、彼自身の「思想作品」として再評価される。スマイルズやミルをはじめとする近代西洋政治思想と邂逅したときに、儒者がとった態度とは如何なるものであったのか。本書は中村の思想の論理構造を抽出し分析することで、これを再現してみせた。 “【書評】田中豊「書評:李セボン『自由を求めた儒者ー中村正直の理想と現実ー』」” の続きを読む

投稿日: カテゴリー 書評

【COVID19:レターズ・トゥ・エディター】from 板垣雄三「パンデミック下の生き方と考え方の問いなおし」

パンデミック下の生き方と考え方の問いなおし

板垣雄三

 長生きをしたために、私はかつて戦時下で味わった生活文化の二番煎じにちかいものを再び体験することになった。音として聞こえてくる「詔勅」で時間の区切りが定められ、そのままには信じがたい「大本営発表」で芳しくない「戦果」を毎日聞かされ、装いや並び方や息の仕方や買い物の心構えまで指図される。「戦死者」を悼み、「最前線で命がけ」の奮闘者に感謝をがコンセンサスとなる。頼りない政治リーダーが垂れる生き方心得に哲学も思想も無いが、批判して村八分はこわい。時局は、自粛も閉店も破産も不条理の処遇も、何でも作りだす。手作りマスク・画面の飲み会・ズーム授業・といった遣り繰り生活。強いられる徹底的に受け身で画一化されルーティーン化された考え方・暮らし方。……これ以上「休校」は子どもたちにとって由々しいこと、やっと秋が新学年の国際バージョンに切り替えができる稀有のチャンス、いや教育制度は手軽に変えるべきでない、などの声が上がり、クスクス笑い。私は、大学以外、学校は同じでも名前は入学時と卒業時で異なった。尋常小学校が国民学校に変わり、東京府立中学校が東京都立中学校へ、そしてそれが1年間だけの都立新制高校3年生に変わった。中学2年4月から3年の夏の日本帝国崩壊まで軍需工場での勤労動員で神風の鉢巻きを締めた臨時労働者となり、授業は皆無。教育制度の切り替えのあおりで大学入学は7月7日、入学と共に夏休み。だから私の大学1年生は半年だけ。軍隊帰りや海外引き揚げの学生も多く、したがって私の入学前後の数年間は4月入学と9月入学の2種類の学生がいたものだ。こんな便宜的扱いを受けた世代もあったことが、完全に忘却されている。戦争の時代の[国内的に、そしてジェンダー視点をはずして、という勝手な条件付きで恐縮だが]被害者・被抑圧者としての立場から、現在の閉塞状況にモノ申すこととする。(冒頭部より抜粋)

※冒頭部のみ抜粋しております。翻訳や訳注、リンクの紹介など原文をお読みになられる方は以下のPDFファイルをご覧ください。

・板垣雄三「パンデミック下の生き方と考え方の問いなおし」:PDF 
 (以下の解説と翻訳を含む)

■解説と翻訳資料
【A】板垣雄三「「コロナ禍」に立ち会う視野を拡げよう 参考資料(B・C)の解説を含めて 」(2020.05)
【B】ミシェル・ショスュドフスキー「コロナウイルスCOVID-19の「しつらえ」パンデミック:時系列表と分析」(2020.04)
【C】イアン・サンプル「科学者は風に乗る命取り流感ウイルスの創造を〈狂気〉〈危険千万〉と非難」(2014.06)

【COVID19:レターズ・トゥ・エディター】from 范帥帥「小さなウイルスが我々の生存世界を永遠に変える」翻訳・感想

小さなウイルスが我々の生存世界を永遠に変える

翻訳・感想:范帥帥(東北大学大学院)

 4月25日に、中国の拼多多(日本の楽天に似ている)CEOの黄峥は「小さなウイルスが我々の生存世界を永遠に変える」という文章を発表しました。その中で、時間の方向性と事物の偶然性について話していることが、わたしにとって深く勉強になりましたので、その一部を翻訳させていただきたいと思います。

(中略)

 小さなウイルスが我々の生存世界を永遠に変えます。ある場合はそれが秩序を揺るがし、矛盾を激化します。ある場合、それが秩序を停滞させ、我々は何もできず、ただ時間の過ぎ去る痕跡を感じるしかありません。ある場合は、コロナウイルスの従う秩序が我々人間の生理・精神・社会の秩序を壊し、命が混乱の元――死に帰しました。いずれにしても、生き残った我々は、このウイルスと人間社会の不可逆的な出会いがもたらした混乱に、直面するしかありません。そして、時間は取り戻せません。コロナの後、我々もコロナの前のようではありません。さらに謙遜に世界を認識し、不確定性を敬畏し、そして、この混乱に適応する新たな秩序を作り試みるべきではないかと、私は思います。(「感想」中一部抜粋)


■翻訳資料

1.黄峥「Time with an arrow/direction 時間の方向」
2.黄峥「Time, crowd and uncertainty  時間、群衆と不確定性」

※翻訳と原書、感想、参考文献など、范帥帥さんのお便り原文をお読みになられる方は以下のPDFファイルをご覧ください。

・范帥帥翻訳・感想「黄峥:小さなウイルスが我々の生存世界を永遠に変える」(2020.5.10):PDF

【COVID19:レターズ・トゥ・エディター】from 閻秋君「汪曾祺作品の翻訳について」

汪曾祺作品の翻訳について

東北大学大学院・閻秋君

 いま世界はパンデミックに襲われています。新型コロナウイルスは、国際社会を変えていると同時に、人間には自分も自然の一部分にすぎないと改めて感じさせました。人間は自然の隅々まで開発してきましたが、今回こそ自然の逆襲を十分味わうことになりました。たとえば、春の爽やかな風が吹き抜けているのに、思い切り外の世界へ遊びに出ることができなくなりました。また、オンラインで授業や会議に参加しているものの、それは人間の五感で触れ合う世界に及ばないものだと切実に感じるようになりました。この息苦しい気持ちを和らげるために、私は中国の作家·汪曾祺(WANG Zengqi、1920~1997)の作品を読み始めました。そして、彼の作品を日本語に翻訳してみたいと思うようになりました。 “【COVID19:レターズ・トゥ・エディター】from 閻秋君「汪曾祺作品の翻訳について」” の続きを読む

【人間草木:翻訳】「汪曾祺語録」閻秋君 編訳

汪曾祺語録

翻訳:閻秋君

人間草木
「六枚の花びら」(写真出典:www.nipic.com)

① 凡花大都是五瓣,栀子花却是六瓣。山歌云:“栀子花开六瓣头。”栀子花粗粗大大,色白,近蒂处微绿,极香,香气简直有点叫人受不了,我的家乡人说是:“碰鼻子香”。栀子花粗粗大大,又香得掸都掸不开,于是为文雅人不取,以为品格不高。栀子花说:“去你妈的,我就是要这样香,香得痛痛快快,你们他妈的管得着吗!”

 殆どの花は五枚の花びらですが、クチナシの花は六枚です。民謡では、「クチナシの花には六枚の花びら」と歌っています。クチナシの花は厚くて大きく、色は白く、花萼の近くは薄い緑です。香りは強くて、耐えられないほどです。私の故郷では、それを「鼻を打つ香り」と言います。クチナシの花は厚くて大きく、匂いも離れないので、上品な文人たちはそれを品格のない花とみなして受け入れません。クチナシの花はこう言いました。「勝手にしやがれ!私はこの香りがいいのです。思う存分香りたいのです。あなたたちほっといてくれ!」

(「夏天」、執筆:1994年)

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投稿日: カテゴリー 翻訳

【人間草木:翻訳】汪曾祺「老舎先生」閻秋君 編訳

老舎先生

作者:汪曾祺
翻訳[1]:閻秋君

 北京の東城区迺茲府の豊富胡同には小さな庭があります。この小さな庭に入ると、とても静かで格別に明るく感じます。庭はいつも日光で溢れています。

老舎北京旧居、現老舎記念館。写真は老舎記念館により提供

 中庭には二本の小さな柿の木があります。〔今はおそらくとても大きくなっていることでしょう〕中庭、廊下、部屋のいたるところに花があり、隙間なく並べられています。季節ごとに変わる花は、とても元気でしっとりとしていて、葉は滴るように青く、花は盛んに咲いています。これらの花は全部、老舎先生と奥さん、胡挈青が自ら世話しています。快晴の時、彼らはこれらの花を鉢ごとに庭へ運びます。花を運ぶ作業でたくさんの汗をかきます。風が強く雨が降る時、またこれらの鉢を一つずつ部屋に戻します。すると、また熱くなり汗をいっぱいかきます。老舎先生はかつて「花は人により育てられるものだ」と言っていました。老舎先生は花が大好きで、本当に花に夢中で、あってもなくても良いという程度では決してありません。 “【人間草木:翻訳】汪曾祺「老舎先生」閻秋君 編訳” の続きを読む

投稿日: カテゴリー 翻訳

【COVID19:レターズ・トゥ・エディター】from Z.L

 コロナウィルス収束の先が見えない中、いかがお過ごしでしょうか。わたしの勤務する大学の図書館もとうとう臨時閉館となり、雑務処理以外に大学に行っても意味ありませんので、先週から自宅研究しています。そうしたら、知らず知らずのうちに研究と関係ない本ばかり読み始めてしまいました。

 カミュの1940年代の小説――『ペスト』を読んだところ、なんと今の状況と重ね合って見えることかと驚きました。疫病が流行りだすと、「貧しい家庭はそこできわめて苦しい事情に陥っていたが、一方富裕な家庭は、ほとんど何ひとつ不自由することはなかった。ペストがその仕事ぶりに示した、実効ある公平さによって、逆に、人々の心には不公平の感情がますます尖鋭化されたのであった。もちろん、完全無欠な死の平等だけは残されていたが、しかしその平等は誰も望むものはなかった」、と。 “【COVID19:レターズ・トゥ・エディター】from Z.L” の続きを読む

【COVID19:翻訳】韓東育「民間外交と文化共有が新時代の日中関係を構築することに対する意義」劉宇昊 訳

民間外交と文化共有が新たな時代の日中関係の構築にもたらす意義

——日中が手を携えて新型肺炎の流行に立ち向かうことへの若干の思考 #

韓東育*

翻訳:劉宇昊(東北大学大学院 博士後期課程院生)

一、「守望相助」(互いに見守り、助け合う)が新たな時代の日中関係にエネルギーを注ぐ 

 中国で猛威を振るう新型コロナウイルス感染による肺炎流行の後、この間ずっと中国とギクシャクと摩擦を生じてきた日本に、意外にも中国を応援する義挙が現れた。とりわけ日本が「全国の力を挙げて」中国とともに危機を乗り越えようとする態度は、中国人に意外の感を与えた。これは中国人が思ってもいなかった情況下に、日本の官民がほとんど爆発的ともいえるくらい中国への善意を表現したわけで、久しぶりの日中の「急接近」である。

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